歩いて2日目【神奈川宿→保土ヶ谷宿→戸塚宿→藤沢宿→平塚宿】残430km

2018:東海道五十三次 通し歩き

朝は6時起床。

今回はブースで寝袋使ってみたけど、なかなか快適に眠れました。
最初は足が熱持ってて汗ばんでだけど、
落ち着いたらやっぱり寒くて、寝袋出してちょうどよかった。


↑左足のマメ、水膨れをつぶしてよく乾かしたら痛みはだいぶ落ち着いた。
まぁどうせまた歩いたらできるんだろ!わかってんよ!(`ε´)
効果あるのかイマイチ怪しいが、予防のためにも両足テーピングしておきましょう。


↑天気は快晴!準備体操をしたら7時出発。

まずは東海道に戻りましょう。
ショートカットはせずに、昨日離脱した場所から再びスタートします。

足の歩き出しの痛みはだいぶ落ち着いている。大丈夫かな。


↑朝一で坂道です!日曜朝、ほとんど誰も歩いていない。

江戸を発った人達が最初に迎える坂といわれる台町は景勝の地でもあったそうで。
坂を上って見下ろすと船着き場まで見えていたらしい。


↑いまは普通に住宅地ですがね。埋め立てられたのか、海は遠のいてしまった。


↑7時10分、神奈川台関門跡 袖ヶ浦見晴所

横浜開港後、人の出入りが増えたせいかいろいろ事件も多かったみたい。
幕府は関所や関門を設けて警備と管理を行っていたそうです。
外国人からの警備強化の要請が強かったみたいですが。


↑上台橋 ここらで宿場は終わり。上方見附(京都側の見附)みたいな立ち位置。

国道15号に沿うような感じで旧道は走っているはずなんだが、
どうも道を間違えている気がしてコンパスで方角を確認する。
うん。全然違う方向に歩いていた。大事になる前でよかった。
道を引き返しトコトコ。


↑緑が生い茂ってる部分、崖なんですよ。横浜って意外と山があるよね。


↑7時50分、八王子道への追分(おいわけ) 追分とは分岐点の事。


↑8時、橘樹神社

商店街を抜けると保土ヶ谷宿です。


↑8時、旧帷子橋跡
普通に街の人が「ただの道」として歩いててちょっと面白かった。生活になじんでるんだなぁ。


↑商店街ですね。


↑8時20分、問屋場跡


↑高札場


↑道標4つ。文字ほとんどわからなかった。
ちなみにここは保土ヶ谷宿お休み処。営業時間前でした。


↑昨日は戸塚まで行きたかったんだよなぁ。8kmもあるなら無理しなくて正解。


↑8時25分、保土ヶ谷宿、本陣跡


↑旅籠屋跡


↑細かくすべての宿場の並びまで記載されていた。


↑駅伝だ!

ところで、足のマメが大丈夫な気がしていたのはものの30分だった。
見事に爆発…むしろ昨日はわりと平気だった右足が痛いんだけど!(ノД`)・°


↑9時、1号線から再びそれたところで、コンビニ休憩。

お腹は空いていないけれど朝ご飯を食べます。
昨日のマックシェイクから食べてないけど、お腹減らないのは緊張感からかな。

さて足を確認…あちゃーーー。
右足もひどい事になり始めた。
両方とも水を抜いてテーピング。
そのうちマメが硬くなって、水膨れはできなくなるものだと思いこんでるんだけども、
本当にいつか痛みはなくなるのだろうか…(;´Д`)
昨日からずっと痛い左足、穴開け過ぎて皮が白くなってるけどまだ水たまるし、
穴あけた皮膚のさらに下に水がたまって、そこに針刺して水出して、
また下に水がたまって針刺しての繰り返しで、どんどん皮膚が重なっていく。
水ぶくれは親指だけなんだけど、もはや中指が痛いのか(人差し指の感覚はない)
もしかして指じゃないのかもと思うくらい、指のつけ根をはがされるような痛みなんだよ。

とりあえず今日はもう両足とも靴ひもをゆるめていきましょう。
舗装路歩きってしっかり靴はいてる意味無いのかも。案外サンダルの方がよかったかもしれない。
絶対昨日と同じで最後はペースダウンするんだろうなぁと思いつつ、
とりあえず目の前のルートをがんばりましょうか。


↑権太坂を上ると富士山がおがめるように。

ここらを一人で歩いていたおじいちゃんが、
私と同じように案内板を見ていたので同類かな、なんて思う。
住宅地と小学校の間、少し高台を歩いていきます。


↑9時40分、境木地蔵尊


↑武蔵野国と相模国の国境。当時は境杭として木柱が建てられていた。だから境木というのね。


↑側面には五十三次の宿場名が書いてあった。


↑道標。右環状二号、左旧東海道。

 


↑焼餅坂。可愛い名前。


↑ちょっと坂道感が無いけど、わりとがっつり下り坂。

権太坂と焼餅坂は日本橋を出た旅人の一番最初の難所だったらしい。
確かに結構いい坂道だもんね。しっかり登って、急にくだるぅ~。
指に爆弾を抱えている私としましても、下り踏ん張れないのできつい~~(;´Д`)


↑9時50分、品濃一里塚。江戸から9番目(36km)


↑横に案内看板も。保存状態が良く、県の史跡として登録されているそうです。

まだ一里塚がよくわかっていなかったので、そのままふーんって流しちゃった。
他の一里塚見てると、土が盛られた上に榎とか大きな木がそびえ立ってるんだけど、
ここは両側、斜面に多少木が立ってるというか…どれがなんなんだかよくわからないね。


↑親切な案内。


↑品濃坂をくだる。って、ちょおおお、右前方に富士山見えてるじゃない!(*´∀`*)
なんというご褒美感。私まだがんばるよ!!

あー東海道って富士山を愛でる旅なのかな、なんて思ったり。
ちょっとつらいなーって時に富士山が見守っててくれてる感がすごい。


↑細い。すれ違いできない。


↑富士山見守ってくれてるねぇ~。


↑10時40分、戸塚宿の江戸方見附。つまり宿場町の江戸側の入り口ですね。戸塚宿突入!


↑10時45分、吉田一里塚跡。江戸から10番目!(40km)

戸塚宿はせまい道を中高生にもまれながら歩く。
東海道への力の入れ方って地域によっていろいろで、戸塚はわりと親切ですね。
地図と文字の道案内看板が要所要所に立ってる。


↑浮世絵と現在の様子は全然違うねぇ。


↑11時15分、上方見附。つまり京都側の入り口です。戸塚宿は2kmくらいでしたね。


↑お軽勘平戸塚山中道行きの場。歌舞伎にあるらしいお話にちなんで作られたそう。

再び1号線に合流し、すぐに藤沢宿…のつもりだったが。
よく考えたらまだ4kmほどあって、それって1時間かかるんじゃ…(;´Д`)
まだ歩きの時間感覚が養われていないようです。


↑お花を見て現実逃避をしていた模様。


↑11時45分、原宿一里塚。江戸から11番目!

今日は2時間ごとくらいに休憩取ろうと思っていたのに11時の休憩を逃したので、
12時頃に少し長めのお昼休憩をしよう。
えり好みせず、見つけたファミレス(ゆっくり靴脱ぎたい)に入ろうと狙いを定めるも、
こういう時に限って反対車線なんだよねぇ…
大きな道路で信号渡るのもつらい…
足が痛い…
もう極力無駄な一歩を費やしたくない…文字通り 一歩も無駄にしたくない

そんなこんなでファミレスを探していたら、
とうとう藤沢宿の直前、道場坂入り口まで来てしまった(つД`)


↑結局12時半、目に入ったコンビニに飛び込む。暑いから梅食べよう、梅。

ザックを入り口に放り捨て、ご飯を買って外へ。コンビニの日陰に座り込んで休憩する。
靴と靴下を脱いでマメから水を抜いて、乾燥させながらお昼ご飯。

足…本当つらい。
皮剥がされてるような痛み。ピリピリヒリヒリするんだな。
まさか歩きってこんなつらいとは思わなんだよ。
絆創膏貼ってみたら蒸れてよけいアウトな感じだった。
周りの皮がふやけて悪化しそうな予感。テーピングの方が良さそうだ。
ていうかテーピングの意味があるのかね。
こすれないようにすると良いってネットで見たんだけど、でもやっぱり水たまるよ。
普段あんまり新しい靴はかないからマメの対処に慣れてないし、
マメができても歩き続けるというのも未知の領域。何が正解なのかわからない。

昼休憩だけどいつまでもコンビニの駐車場で座り込んでもいられない。13時前に再び出発。
とにかく最初の歩き出しがめちゃくちゃ痛いんですよ…!
15分くらい歩いてしまえば痛みも慣れるんですが、とかく最初が足を引きずる引きずる…
今日は右足の方が重傷だ。
左は痛いけどだんだん慣れたというか、もう痛くて当然のような感覚で、
右足は痛いはずがなかったので体が慣れていない。


↑13時、藤沢市突入!


↑旧東海道松並木跡


↑駅伝で有名な遊行寺坂

うわぁテレビで見るより結構急な坂じゃないですか。こんなところを走って登ってるのか。
つい駅伝のシーンを思い出して目頭が熱くなった。


↑13時20分、遊行寺


↑江の島弁財天道標。管鍼術の杉山検校こと杉山和一が寄進したそうで。
「一切衆生」と「二世安楽」と彫られており、
江の島弁財天へ参る人々の現世・来世での安穏・極楽への願いが込められているそうです(解説板より)


↑高札場跡


↑蒔田本陣跡


↑13時40分、義経首洗い井戸 私むかしここ来たことあるなぁ、義経めぐりの旅で。

寄り道を極力しないで藤沢宿を抜けたら、
あとは今日の宿泊地、平塚宿までざっくり10km!


↑14時半、藤沢の一里塚跡。江戸から13番目!

無心になれ、無心になれと念じながら、2時間に一度は水を抜きつつ、とにかく歩く。
ほとんど足が痛いなーって事しか考えていなかったと思う。
肩が痛いのはザックの腰のベルトをきつめにしたら解消されたんだけど、
足の痛さはもうどうしようもない。
今日の日記、足が痛いしか言ってない。笑


↑14時半、茅ヶ崎市突入!テ・ン・ショ・ン あげてこ~~( ゚∀゚)


↑16時、あまりに暑くてアイス投入。

茅ヶ崎突入から1時間半、一枚も写真が無くて、本当に黙々と歩いてたんだなって…。


↑16時半、鳥井戸橋
東海道を京都へ向かって歩いて行くと富士山はいつも右手に見えるんだけど、
ここは進行方向左側に富士山が見える。「左富士」といって、神奈川では唯一の場所。


↑おおお、見守ってて、くれてるよぉぉ(ノД`)・°


鶴嶺神社鳥居 松並木が1kmほど続くらしいが、行く気力無いので写真だけ…。


↑このあたりで60kmと。
一里塚は14番目(約56km)を見落とし、15番目(約60km)はまだ先である。
東海道と国道1号は同じではないんだなぁ。
注)面倒だったので旅中は一里=4kmとして計算してました。(一里=約3.927km)


↑5分も歩くと旧相模川橋脚 逆光で全然ですが、これたぶんレプリカだよね。
相模川じゃなくて、小出川の近くにあったんだけど、昔と今じゃ川の位置が違うのかな?


↑なんか知ってる景色…!!
日帰りで江の島行く時によく通る道じゃん(*´Д`*)
あああ~ここたどれば家に帰れるのに…笑


↑17時、平塚市突入!!


↑相模川となッΣ(゚Д゚;)


↑馬入橋 相模川にかかっている橋ですね。もうひとつ河口に行くと湘南大橋。


↑大山見えてるよ…ホーム感たまんないす(ノД`)・°


↑17時10分、馬入一里塚。江戸から15番目!(60km)

おおむね予定通りに18時には平塚宿へ。
ここはほぼ平塚駅前なので、商店街で賑わっている。

ところが、あと少しだから我慢しようと思っていた足が
引きちぎれるかという痛みでしんどすぎて結局道ばたで座り込み裸足になる。
歩き続けて2時間超えるとやばい感じ。
なんかもう左足はすねまで痛い。しんどい。
左足はマシとか言ってたけどやっぱ痛い。どっちも痛い。
うう、明日から大丈夫だろうか。わからない。不安しかない(( ;゚Д゚))

マンガ喫茶の場所がわからず、コンビニで聞いたらわざわざ調べてくれて、くれたんだけど、
道案内って目印とか距離感がパっと説明できないと難しいんだなぁとか改めて実感。
頑張って伝えようとしてくれたんだけど、言葉が出てこないみたいで全然わかんなかった。

なんとか見つけたマンガ喫茶はめちゃくちゃ接客の悪い店員だったがまぁいいでしょう。

はさみを借りて靴の下敷きを小さくカット。靴内部の空間を少しでも増やしてみる。
靴ひもの通す位置も変えて、なけなしの抵抗を試みる。


↑トレッキングポールを横に渡して手洗いした物を干す。

記録作業と明日の予定を考えて20時には就寝。

マジで本当帰りたい旅だわ…つらすぎる。
江戸っ子の脚力に恐れおののく。一日10里とかマジ無理です。

東海道中膝栗毛、出発前にちょっとだけ読んでたんだけど、
あんなにふざけた弥二さん喜多さんだったけど、ちゃんと進んでたからすごいのかも。

 

【記録】
神奈川宿(横浜駅前)→平塚宿(平塚駅前):35.2km
歩数:56,666歩
歩行時間:7時~18時の約11時間(休憩含む)

【支出】計3,108円
朝 パンとヨーグルト+行動食:354
昼 おにぎり:414
パピコアイス:140
マンガ喫茶:2,200


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片手鍋でひとり旅

コメント

  1. コキG より:

    しょうこさん
    そうですか内なる敵はマメでしたか…
    自分の体でありながら自分では対処が難しいですよね
    スタート早々帰りたくなる気持ちは良く理解できます

    矢張りチャリ旅と歩き旅では視点が違いますね
    チャリでは見逃した記念碑を楽しく拝見させてもらっています
    全線踏破記録待ってます

    • しょうこ より:

      マメはあまり経験が無いというか、
      靴を変える事しかしたことが無かったので、旅先では対処に困りました。
      移動速度が違うとまたかなり違う旅になっていると思います。
      バイクとチャリでも違いますしね!
      お言葉ありがとうございます、今後も更新頑張ります。