東海道通し歩き、いつものスタイルで更新します´ω`)ノ
一番下ですが地図貼っておきました。
実は帰宅後もあまり実感無かったんですが、
地図作って改めて全体像見ると本当に…よく歩いたねぇ…(´・ω・`)
旧東海道五十三次の宿場を経由し、
東京は日本橋から京都は三条大橋まで。総距離約500km。
当時の成人男子江戸っ子は平坦な道で1日9里から10里(約36~40km)、
女性は年齢にもよるけど6里から8里(約24~32km)歩いたそうだ。
現代人の歩行速度は時速4kmという事を念頭におき、
最低ラインを1日24km(6時間)、3週間21日で到着を目安にしました。
もちろん確実にそれよりは早く着くとは思っていたが、
諸々の計画を立てる時に最悪の場合があった方がいいからね。
ちなみに東海道の歴史的意義とかそういう下調べはしてません。
歩いて京都へ行く!というのが大目的であり、観光地は寄らないし、
名物も食べないし、なによりも先へ進む事を優先しています。
ただ歩いて案内看板とか読んで得た知識レベルは多少ご紹介できればと考えています。
お待たせしました。本編スタートです。
朝は6時に起床。
だらだら準備して8時に出発。東京駅へ到着したのは10時。
↑いい天気です。
↑スタート地点の日本橋へ到着。
↑ほらこれが噂の
すごいよねぇ、首都高の隙間によう建てたものだ。
首都高のせいで景観が~なんて話もあるけれど、私の中では日本橋ってこれだからなぁ。
なんといっても箱根駅伝のゴール地ですから。
ゴール地どこだろうとぐるぐる回ってみたけど結局わからず。
この下調べしない子めッ!
↑東京市道路元標
↑日本国道路元標
街道のスタートはここだ。
↑出発!!日焼けしたくないので自転車用のグローブ持ってきました。
日本橋をのんびり見ていると、年配集団がガイドに連れられぞろぞろと…
10時半、ようやっと歩き出します。
↑銀座は歩道が広くて歩きやすい。初日ではりきってるので写真多めです(´・ω・`)
ドアマンがいるお店が軒を連ねる。
外人も多いけど、今日は普通に土日だから人が多いね。
↑お、この国道1号とは今度長いことお世話になる予定。
↑警察博物館。ちょっと面白そう。
↑江戸歌舞伎発祥の地
↑京橋大根河岸青物市場蹟碑
↑煉瓦銀座之碑
↑京橋碑
↑新橋に近づくとちょっとオフィスっぽくなってくる。
↑黄緑のTシャツで埋め尽くされる。なんかウォーキング集団らしいよ。
同じTシャツを着て、好き勝手に歩く感じなのかな。
↑新橋跡
まだ元気だったよねぇ…写真ちゃんと撮ってるし。
だんだん記念碑とか「ふーん」でスルーするようになったもん。
興味あったり面白いなってやつとかしか撮らなくなった。
↑銀座柳の碑
↑新橋駅かな。11時、ここまでで30分くらい。まぁ順調。
↑日比谷神社
左足の親指がいやな予感でちょっと道ばたで作業。
親指の内側、人差し指に踏まれる部分が水膨れになっていた。
水を抜いて絆創膏。マメの対処法ってこれ以外にあるのかしら…
水抜かないでおいても、歩き続けたら絶対潰れるからなぁ。
↑指先の締め付けがきついのかと思って、先端の靴紐を通さずに結んでみる。
↑11時半、日本橋から3km!たしか結構西の方までこの標示あるんだよね´ω`)
サクサクと進んで浜松駅へ。
ここらまで来ると普通のオフィス街。観光客もいないし道幅も狭い。
まだ元気いっぱい、もりもり進みます。
↑芝大神宮 結婚式の写真撮ってたので、装束着た方がおります。
芝大神宮の前で手相占いしているおっちゃんに話しかけられる。
「どこまでいくの」
「東海道で京都まで」
「へぇ、ツアーで」
「いやいや、一人で、個人で」
「え、だからあとで合流するんでしょ?」
「違う違う、一人で京都まで行こうとしてるの」
やっと意味が通じたみたいでおっちゃんホケーっとなる。
「そっか、無事に京都まで行けたらまたここにおいでよ」
初めて旅人的な感じで話しかけられたわ。
↑うおっ、白バイじゃ!やっぱ格好いいなー(*´ェ`*)
↑何気なく写真撮ったが、まだこの時はピンときてなかった。
↑日本橋、京橋や新橋と、橋が多いのは川があるからだ。
↑西郷・勝の会見の地
↑12:15 高輪大木戸跡。この石垣は当時のもの。
夜間は閉められ、見送りの人はここまで見送って別れたらしい。
つまりここから先は宿場じゃないんだ。RPGでいったらフィールドになる。
いよいよ冒険が始まるんだ(・∀・)テーレッテレー
↑12時頃、品川駅到着。
さすがにおなかが空いたので米の食べられるお店を探す。
というかもう、目に入ったから飛び込んだ。
↑那須高原豚の特製ソースカツ丼(1,130)
ご飯がおしゃれ盛りじゃなくてしっかり量があったので大満足です(*´∀`*)
↑その間は靴を靴下までしっかり脱いで、足と靴を乾かします。
13時まで大休憩。
ここのお店は混んでたけど、スタッフさんがみんなベテランて感じで
雑談しながら余裕でテキパキ動いてて良いお店だ。
いわゆるホスピタリティとは違うんだけど、仲よさそうだし活気あるし。
遊びに来た人達でにぎわう品川駅前を素通りし、八ツ山橋を渡るとやっと国道と別れ旧道に入ります。
↑従是南 品川宿 ここまでで約7.8km。
宿場町とはどんなものかとドキドキしながら進んでみるも、
どこにでもある一方通行の商店街。
ポケモンGOかなぁ…ケータイいじってる人たちがかなりいる。
自転車の人に追い抜かされては追いついて、
また追い抜かされて追いついてを繰り返す…向こうは気にしてなさそうだが。
↑品川宿の石垣。つまりここから品川宿なのかな?
↑品川宿本陣跡
↑ただの公園の端っこに、さりげなくある。
歩いてみてわかったけど、宿場町って長いのね…!
歩いても歩いてもずっと商店街で、
ここで初めて、私この旅で相当歩かないといけないんじゃ…って事に気づいた。
↑品川宿の松
↑建物の壁にぺたっと貼ってあった。
↑諏訪神社かな
↑旧東海道の標識!歩いてるよ!わたしこれを歩いているのよ!
↑14時半、休憩抜いて3時間で12kmか。
↑14時過ぎ、鈴ヶ森遺跡
五十三次の宿場の間にも間宿というのがあります。
宿場の営業保護のために、間宿では宿泊は禁止されていたようですが、
茶屋とかお店が出てて賑わっていたみたいですね。
15時に蒲田駅を経由。
↑六郷神社。境内で小さい子を遊ばせてる家族が多くて良い神社だった。
↑16時、新六郷橋を渡って、神奈川県入り!!
↑当然、以前は橋が無いので人力で渡していたそうな。六郷の渡し跡
「○○の渡し」というのが今後ちょこちょこ出てくるけど、
どうやら運賃を払って渡し人(川越人足)に肩車してもらい、徒歩(かち)渡しで横断する。
これはいろいろな理由があって橋もかけず船も許さずなんだけど、
まず第一に川が自然の関所の役目を果たすから。
川を渡りたい人は必ず川会所で川札を購入しなければならない。
無断渡河は見つかり次第、幕府から厳罰だったらしい。
そして川の周辺地域の安定した就労確保のためでもあった。
最盛期には川越人足が1,000人以上いたというから、安定した稼ぎ場所だったんだと思う。
ちゃんと、川の水位によって値段が設定されていたというのが面白い。
↑川崎宿はこのくらいしかなく、ほとんど何も残っていないようです。
ちょうど土曜日の夕方ともあって人でごった返す。
↑オレンジジュースを補給。
左足のマメが痛い。わりと痛い。
↑田中本陣跡
↑小土呂橋跡 チャリ置き場に埋もれていた。
↑八丁畷
畷(なわて)とは田畑の間に延びる道という事らしい。
ここらは人の骨がたくさん埋まっていたらしく、いろいろな開発で十数体掘り起こされているそうだ。
ちょうど川崎宿の外れ。
震災や災害、疫病で亡くなった身元不明の遺体をここに埋葬したんじゃないかって。
↑その慰霊塔
↑お、ちょっと面白いマンホールや。
↑市場村一里塚 江戸から数えて5里目(20km / 1里=約4kmとする)
一里塚は今後もめたくそ出てくるのでよく覚えておいてください。
私が東海道歩いていて、最終的に一番楽しみになったのは一里塚です。
一里塚とは
旅行者の目印として街道の両側に1里(約3.927km)毎に設置した塚(土盛り)である。
「ええ木(良い木)を植えるように」という指示を榎(えのき)と聞き間違えたとか。
諸説あるけど一番多いのは榎である。
その木陰は旅人の休憩場所だったそうで。
まさに「くたびれた やつが見つける 一里塚」というわけです。
↑昔ながらの銭湯
無心に歩いて18時、キリンビール工場へ。
↑レストラン併設なんだよなぁ、あーーーー飲みたい!けど我慢。
↑工場敷地に埋め込むように、生麦事件の碑
足がやばい気がする。
極力気にしないようにして歩いていたけど、マジでヤバイ気がする。
左足だけじゃなくて右足も痛い気がする。マメもそうだけど、足全体に棒感ある。
全然楽しく歩いていると思うでしょう。初日だし。
ところがどっこいですよ。もう結構しんどい。
え、嘘でしょ?歩いてるだけなのになんでこんな疲労感?
足の裏の感覚がよくわからなくなってる。
左足はもはや親指の付け根というかなんかあの辺一帯が全て熱い感じ。
見かけたマックでマックシェイク補給しつつ足の裏を確認。
うわぁ、右足にもマメできてる…水を抜いて絆創膏を貼っておく。
↑18時、こんなに歩いているのに、それでも26kmなんだ…(まだ歩き脳じゃない)
↑19時、神奈川宿の本陣跡発見。
写真ががっくり減ったのは、本当に疲れてきたから。
それにだいぶ日が傾いてきた。
今日の予定を考え直さないと。
本当は次の保土ヶ谷宿を過ぎて、東戸塚の快活クラブに行こうと思ってたんだけど、
多く見積もってまだ10kmくらいありそう。この調子では真っ暗になってしまう。
保土ヶ谷宿は坂も多いし絶対真っ暗な道歩く事になる。
せっかく歩くなら明るい時に景色を楽しみたいよなぁ。
それに足痛い今の状況じゃ楽しめない。
だったらもっと前の段階で泊まる場所を考えなければならぬ。
ちょうど神奈川宿を過ぎたところは横浜だ。
横浜なら絶対マンガ喫茶の一つや二つはあるだろう。
そうと決まれば残りの道をひた歩く。両足が痛い。
歩き初めが痛いんだけど、歩いているとだんだん麻痺してくるというか。
だから休憩したくなくなるんだろうな…悪循環だな。
↑州崎大神 真っ暗で怖いから素通り
↑線路を越えたら横浜駅だ!!
横浜駅は…そうですよね、土曜の夜ですから大変にぎわっておりまして。
ザック姿できょろきょろしてたらキャッチの人に声かけられた。
「居酒屋とか探してませんか?」
「いやマンガ喫茶を探しています(真顔)」
「マンガ喫茶ならあの建物と、そこの角を右に行ってもありますよ」
「うわ、ありがとうございます、優しい…」
優しさの固まりともいえるお兄さんの顔は全然見てなかったけど、
教えられた通りのマンガ喫茶に即入店。19時20分。
もうとにかく寝転がりたいし。
お値段安いものの、やはりみんな大好き快活クラブと比べると設備が劣るな…
快活行きたかったなぁ…(´・ω・`)
早急に記録作業行い、20時には就寝。明日は朝から歩くぞ。
【記録】
日本橋→神奈川宿(横浜駅前):27.3km
歩数:51,553歩
歩行時間:10時30分~19時20分の約9時間(休憩含む)
【支出】計3,014円
那須高原豚の特製ソースカツ丼(みやこ):1,130
オレンジジュース200ml:84
マックシェイク ミルクキャラメルS:120
マンガ喫茶:1,680
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